人生、大丈夫。良くなるようにしかなっていない!

今も日々、人生の不安と闘っているまっただ中の自分が、自分を励ますことでその不安を遠ざけ、時には想定される最悪の事態を受け入れ、何とか前向きに今日まで生きてくるのに支えになった言葉や考え方を同じように苦しんでいる人の少しでも救いになればと紹介します。 不安と戦い、悩んでいる中で自分の内から湧き出た言葉の他、本やネットから拾って支えにした言葉もいっぱいあるけど、もはやいろいろ読み漁りすぎて出典元が明確でないので、その辺はなにとぞ大目にみてください。

真面目かっ!どうせ人はいつかは死ぬ。

そう、いつかは死ぬ。誰もが。

いつかはわからない。50年後かもしれないし、明日かもしれない。

だから、いつまでも生きるつもりで来るかもしれない先の日のこと心配してうだうだ言っていないで、間違いなくきている今日を楽しまないと損でしょ!

 

今日が幸せなら、他は何もいらない。

今日だけ見たら?

あなたは自分の足で歩けますか?

話を聞いてくれる家族や友達はいますか?

今日食べるだけのお金はありますか?

寝る時間はありますか?

ふっと笑えることが一つでも見つけられませんか?

 

あなたが生きている今日は、どんなに生きたいと願っても叶わなかった人たちの一日なんだ。

今日、生きているだけで幸せ。

今日という日を幸せに過ごせるだけでも恵まれている。

明日?一年後?死んでるかもしれないから考えるだけ貴重な今日の時間の無駄。

 

さぁ、生を堪能しなさい!

人生はきっと思っているより短い。

 

HAVE A NICE DAY!

Don't think about tomorrow's worries!

Just keep doing it every day.

 

不安の元である想定される最悪を最幸の出来事と受け入れる。

まぁ、どうしたって人生に不安はつきもので。

勝手に行く末を想像して、大抵それは悪くなる方にしか考えられず、なんとかそうならないためにできないか、この状況から逃げ出せないかというのが不安の出発点だと思うのだけど、逃げようとするからどんどんその恐怖は大きくなるもの。

だったら一層のこと、受け入れてしまおう!

最悪になることは仕方ないと諦めるのではなく、

自分は勝手にそれは最悪だと捉えているけど実は最幸をもたらす出来事として

受け入れる。もうそれは強引に、強気に。

 

哲学者エピクテトスの「人生の授業」という本を読んだことがある。

言い回しが違うけどその中にこんな一節がある。

 

【事象が起きた時にそれを良いもの悪いものと判断しているのは自分。

事象自体には良いも悪いもなく、ただそれが起きているだけ。

捉え方は自分で決められること】

 

であれば、その不安の元、最悪と自分で決めている事象が実際に身に起こったとして

それを最悪ではなく、最幸だと捉えてもいいってことなわけ。

 

そんな風に考えられないから最悪なことなんだっていうのも分かる。

でも、いつまでも逃げていては恐怖はどんどん大きくなっていく。

向き合って最幸の事象、もしくは最幸になるために必要な事象として

強引に捉えてしまおう!

 

僕の場合、5,000万の借入が尽きて、会社の存続ができなくなって

保証しているその借金を自分が丸かぶりする。

その時におれの人生はどうなっちゃうの?そうなったら人生最悪だ。。。と

いう恐怖で不安で不安で小さくなってしまうんだけど、

強引にそれがプラスをもたらすものとするならば

・いま、満足いっていないこの人生を変える大きなターニングポイントになる。

 そこから悪くなると考えがちだけどほんとそう?そこからがむしろ今よりもプラ

 スに満足いく人生を歩み出すことになる可能性も同じだけあるよね?

・「自ら断崖絶壁に立て!そこで必ず風は吹く」

 「どうもがいてもだめなときがある。
 手を合わせるしか方法がないときがある。
 本当の目が開くのはそのときである」

 こんな名言通りに、この時に自分にどんな革命的な変化が起こるのかを体験するチャンスでもある。人生は一度きり。そこから面白くなるチャンスかもよ?

・そんな経験をした人間は少ない。そこから這い上がった人間には深みが出る。その深みがその後の人生で偉人になるために必要なものだとしたら?今の平均並みの人生、特筆することもない人生で終わるのか、偉人になって羨望の眼差しで見られる人生の後半を手にいれるターニングポイントになるチャンスかもしれん。

・その時に誰が、何が自分に残るのか?それこそが俺が一番手にしている宝である。それを見極められるチャンス。

・そこに至るまでの足掻きの中で間違いなく自分は人として成長する。その成長は人としての自分を一層魅力的にするチャンス。

・神に感謝することがいかに大切かを知るチャンス。歴史的に成功者が神を崇拝し、色々と奉納してきたわけだ。みんなどこかで神に感謝する体験をしたからでしょ。それを自分も体感するチャンス。並の人間は慣習でしているが、実際に神の息吹を感じたことのある人間は強く、成功している。

※一番ダメなのはヒヨって誰かに救いを求めて逃げようとすること。このチャンスを失うことになる。おれは最悪、倒産になっても誰にも迷惑をかけずに処理する。それでこそ俺は上記したようなチャンスを手にすることができる。せっかくのチャンスを逃げたい一心でマイナスにしてしまうのだけは一番ダメ。

神が与えたこの経験を人の力で無理に現状変更をしてはせっかくの変化のきっかけが不幸な事象となってしまう。逃げないよ。助けは求めないよ。これはこうなることが一番良い結果だったと捉えてそのメリットを享受するためにその役をしっかり演じるよ。いつだってピンチをチャンスにできる人間は神の脚本に逆らわずに生きたものだけ。一切逃げない!

よし!受け入れた!来るなら来い!逃げも隠れもせん!このチャンスを一つも取り漏らさず100%全部、その後の糧にしてやる!

人生、良くなるようにしかなっていないんだよ。いま、幸せならそういうことでしょ。

 

 

自分の人生を面白がる!これ極意。

結局、誰もが生きていればマイナスな面、ピンチだと思うような事態に直面するのではないか?

多かれ少なかれ、大なり小なりの差はあれど、波のない人生なんてないんじゃないか?

自分だけが大変だと思いがちだけど、きっとそれは誰もが経験するものであって誰もが

苦しんでいるなら、別にそれほど落ち込まなくてもいいのではないか?

ピンチがどんな形で現れるかは人それぞれ違うかもしれない。

でも誰も何かしら乗り越えて、人生を歩いていくのだと思えば、自分は自分に課せられた壁を乗り越えるだけ。自分だけ大変だ。。。なんて悲観に暮れることもない。

 

そんなことを考えたり、でも落ち込んだりしているのだけれども、ふっと心に降りた言葉があって。

それは、

 

 人生、それもこれも面白がれ!

 

というもの。

人生を楽しむ!マイナスをプラスにする!とかは日々言い聞かせてここまできたのだけれども、もっとそれよりも気持ちが楽になる言葉。

頑張るのではなく、楽しむのでもなく、面白がる!

こんなこと起きたかー、こんなんなっちゃったかー、からの、ではここからそれをどうしてやろうか!と面白がる!

 

そうすると、こうしちゃおうか?ああしちゃおうか?こう考えたら俺の人生オモロいな!って勝手に前向きに、そして直面した問題点への対策も勝手に考えてくれる。

頑張ってなんとかこの問題を克服しなきゃ。。。ではなく、この問題こうなってこうしたらオモロくない?って感じ。

 

楽しいこと、嬉しいことは元々オモロいんだから、そのまま堪能させてもらう。

嫌だな、これ辛いなっていうマイナスに感じた時に、意識的に面白がってみる!

 

例えば、事業やばいな、借金まみれの人生になっちゃうな(落ち込み要素)。

→こんな人生もオモロいな。とりあえずこんな経験する人も少ないな。かつ、これ今後の人生で借金返して大社長にでもなったら物語としてオモロいな。

物語の主役なんて大抵そんなもんだしな。本になるな、俺の人生。

そのためにはどうしようかな?

これは俺ができるな!これはもっとこうしたら事業になるかな?やってみてもいいな!

って戦略を練ることになってる!

この問題、さてどう料理してやろうか!って感じかな。

 

人生を面白がる!って言葉でネットで検索かけてみたら、

同じことを大女優の樹木希林も残していたみたい。

 

「楽しむのではなくて、面白がることよ。」

面白いわよねぇ、世の中って。「老後がどう」「死はどう」って、頭の中でこねくりまわす世界よりもはるかに大きくて。予想外の連続よね。楽しむのではなくて、面白がることよ。楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。

 

 

人は弱いから落ち込みがちだけど、この際、面白がっちゃえば?

なんか解決策も浮かぶかもよ?

何より周りからしたらそんなあなたは強く太く魅力的。

あぁ、どうしよう。。。と下向いている人よりもなんかワクワクさせられるでしょ!

あなたの周りの人もハッピーだし、協力者も現れるかもよ?

まちがいなく、下向いて落ち込んで暗い顔している人よりもそこから跳ね上がる可能性は100倍高い!

 

さあ、今日のピンチを、今の人生をもっともっと面白がって今日も生きてやりましょう!

 

人生、やっぱり良くなるようにしかなってないね!それもこれも面白い!

おれはピンチを面白がれる強く太か男になったるばい!