不安の元である想定される最悪を最幸の出来事と受け入れる。
まぁ、どうしたって人生に不安はつきもので。
勝手に行く末を想像して、大抵それは悪くなる方にしか考えられず、なんとかそうならないためにできないか、この状況から逃げ出せないかというのが不安の出発点だと思うのだけど、逃げようとするからどんどんその恐怖は大きくなるもの。
だったら一層のこと、受け入れてしまおう!
最悪になることは仕方ないと諦めるのではなく、
自分は勝手にそれは最悪だと捉えているけど実は最幸をもたらす出来事として
受け入れる。もうそれは強引に、強気に。
哲学者エピクテトスの「人生の授業」という本を読んだことがある。
言い回しが違うけどその中にこんな一節がある。
【事象が起きた時にそれを良いもの悪いものと判断しているのは自分。
事象自体には良いも悪いもなく、ただそれが起きているだけ。
捉え方は自分で決められること】
であれば、その不安の元、最悪と自分で決めている事象が実際に身に起こったとして
それを最悪ではなく、最幸だと捉えてもいいってことなわけ。
そんな風に考えられないから最悪なことなんだっていうのも分かる。
でも、いつまでも逃げていては恐怖はどんどん大きくなっていく。
向き合って最幸の事象、もしくは最幸になるために必要な事象として
強引に捉えてしまおう!
僕の場合、5,000万の借入が尽きて、会社の存続ができなくなって
保証しているその借金を自分が丸かぶりする。
その時におれの人生はどうなっちゃうの?そうなったら人生最悪だ。。。と
いう恐怖で不安で不安で小さくなってしまうんだけど、
強引にそれがプラスをもたらすものとするならば
・いま、満足いっていないこの人生を変える大きなターニングポイントになる。
そこから悪くなると考えがちだけどほんとそう?そこからがむしろ今よりもプラ
スに満足いく人生を歩み出すことになる可能性も同じだけあるよね?
・「自ら断崖絶壁に立て!そこで必ず風は吹く」
「どうもがいてもだめなときがある。
手を合わせるしか方法がないときがある。
本当の目が開くのはそのときである」
こんな名言通りに、この時に自分にどんな革命的な変化が起こるのかを体験するチャンスでもある。人生は一度きり。そこから面白くなるチャンスかもよ?
・そんな経験をした人間は少ない。そこから這い上がった人間には深みが出る。その深みがその後の人生で偉人になるために必要なものだとしたら?今の平均並みの人生、特筆することもない人生で終わるのか、偉人になって羨望の眼差しで見られる人生の後半を手にいれるターニングポイントになるチャンスかもしれん。
・その時に誰が、何が自分に残るのか?それこそが俺が一番手にしている宝である。それを見極められるチャンス。
・そこに至るまでの足掻きの中で間違いなく自分は人として成長する。その成長は人としての自分を一層魅力的にするチャンス。
・神に感謝することがいかに大切かを知るチャンス。歴史的に成功者が神を崇拝し、色々と奉納してきたわけだ。みんなどこかで神に感謝する体験をしたからでしょ。それを自分も体感するチャンス。並の人間は慣習でしているが、実際に神の息吹を感じたことのある人間は強く、成功している。
※一番ダメなのはヒヨって誰かに救いを求めて逃げようとすること。このチャンスを失うことになる。おれは最悪、倒産になっても誰にも迷惑をかけずに処理する。それでこそ俺は上記したようなチャンスを手にすることができる。せっかくのチャンスを逃げたい一心でマイナスにしてしまうのだけは一番ダメ。
神が与えたこの経験を人の力で無理に現状変更をしてはせっかくの変化のきっかけが不幸な事象となってしまう。逃げないよ。助けは求めないよ。これはこうなることが一番良い結果だったと捉えてそのメリットを享受するためにその役をしっかり演じるよ。いつだってピンチをチャンスにできる人間は神の脚本に逆らわずに生きたものだけ。一切逃げない!
よし!受け入れた!来るなら来い!逃げも隠れもせん!このチャンスを一つも取り漏らさず100%全部、その後の糧にしてやる!
人生、良くなるようにしかなっていないんだよ。いま、幸せならそういうことでしょ。