それは挑戦か?逃避か?
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中学からの付き合いの親友から、もう20年以上も前に言われた一言が、未だに心に残っている。
「迷ったら、それは挑戦か逃避かで道を決めることにしている。逃げなきゃ道は開けると思う」
という言葉。
この友人は中学校の同級生で、とても魅力的なんだけど、不思議な独特の感覚、感性を持ち合わせているやつで、捉えどころがなくて、今も仲が良いんだか悪いんだかよく分からない距離感にいる。今では一緒の時間をそれほど長く持つこともなくなって、1年以上、連絡取らないこともあるし、かと思えば、会えば昨日も会ったような感じで話もできて、たまにゴルフも一緒にして、酒も飲んで、何でも話せて。そして時に的確な言葉をくれて。
とにかく「謎」な人。
凡人の自分からは到底、彼を理解することはできない、そんな友人。でも何でも話せて、本当に困った時には彼に救いの言葉を求めて連絡してしまう。
そんな彼に自分が人生の進路で悩んでいるときに言われた言葉。
「それは挑戦か逃避か」
同じ選択肢を取るにしても、その時の状況によって、その時の心持ちによって、それが「挑戦」であるか「逃げ」かは変わる。
例えば、何かを断る時。その誘いに対して、行きたくないから断ろうというのは「逃避」だけど、それを断ることで違うことにその時間とエネルギーを使おうという意図や、断ることそのものに意味があるのであれば、それは「挑戦」となる。
進路にしてもそう。例えば転職したいと考えていて、今の職場や仕事が嫌だから転職するのは「逃げ」だし、その職場に見切りをつけて新しいスキルや経験を身につけたいという前向きな気持ちがあるなら、それは「挑戦」。
実際には「逃げ」の気持ちから取った選択肢でも、いくらでもこじつけて「挑戦」とすることもできてしまうんだけど、そこにある自分の気持ちは誤魔化せない。
選択の動機が「逃げ」から来るものか、「挑戦」から来るものか。
人の評価は関係ない。自分が挑戦と思える選択肢かどうか。
僕にはもう一人、親友と呼べる人間がいるのだけど、そのもう一人の親友は、会話の中で「お前の人生は攻めっぱなしの人生だな」と言った僕に、何気なくこう返してきた。
「攻めてりゃ負けねーからな!」
攻めてても負けることはあるとは思うんだけど、そこはやはり気持ちの問題が大きくて。逃げずに挑戦していれば道は開けるという先の別の親友の言葉とも通じるところがあって。
人生で判断に迷うことって結構あると思う。
でも、どっちの選択が挑戦で、どっちが逃げることになるかを取るべき行動を選択する時の基準に持つとクリアになることが多い。
チャレンジ イズ チャンス!
失敗しないように慎重に慎重に人生を歩んでいっても、安全な道なんてない。
攻めてりゃ負けないということもなく、負けることもあるだろうけど、まあ、負けても、攻めた結果なら清々しくはないか?
逃げた先に楽園はなかろう。
photo credit: Rod Waddington Aklil in Adigrat via photopin (license)
不安という病に冒されている時って、そこから逃げたいという思考がどうしても占めてくるけど、攻める手段を考えれば、挑戦し続けていこうと自分を転換できれば、不安が介在する余地はなくなっていく。逃げなきゃいい!逃げなきゃ、自ずと道は開ける!
一度きりの人生。逃げずに挑んでどんな結果になるか、自分の人生どう転がっていくか楽しんでやるくらいのそんな気持ちで歩んでいきたい。迷ったら、挑戦となる方の選択肢を取り続けて!
自分は恵まれている。
こんな言葉をくれる友人がこんな近くにいるのだから。
人生、大丈夫。良くなるようにしかなっていないんだよ。