「それでも自分は幸せだ」という言葉の強さ
どんなに前向きに、どんなに楽観的に、どんなに目の前の1日を生きることに集中しようと決意しても、やはり現実としてうまくいっていないこともあるから人生に悩み、不安になってしまう。
生きていくことに苦しくなる。明日が来ることに恐怖すら覚える。
これは自分でどんなにメンタルをコントロールしようにも、どうしようもできない時がある。
そんな時には僕は、もううまくいっていないことを受け入れる。
確かに、うまくいっていない。もうそれは事実だ。そのうまくいっていないことをなんとかしようと精一杯、日々頑張っている。
前向きに楽観的に考える様にして、なんとか道を切り拓こうともがいている。
でも、ダメかもしれない。でも。。。
そんな問題を抱えて苦しんでいる自分だけど、
それでも自分は幸せではないか?
五体満足なだけでも幸せ。
家族がいるだけでも幸せ。
友達が多くはないけどいてくれるだけでも幸せ。
今日の食べるお金があるだけでも幸せ。
雨風を凌げる帰る家があるだけでも幸せ。
応援してくれる人が周りにいるだけでも幸せ。
自分が持っている幸せ項目を数え上げれば、心配していることが実際にそうなったとしても、手元に残るものがあるだけでも幸せなのは間違いない。
それでも自分は幸せだ!
そう思えたら、次は、少しでもうまくいっていることを書き出すことにしている。
自分が手がけたり、たまたま降ってきた運が良い事象も含めて、これはこの状況でもうまくいっているなということを書き出す。
そうすると、思っているよりも多く、うまくいっていることってある。
あとは、そのうまくいっていることは天からのギフト、道標と信じて、
それをもっと拡大できないかに考えを巡らす。
すると、どうだろう?
自然、やるべきことがみつかって、落ち込んでいる暇がなくなる。
攻め手を考えているうちに前向きになってこない?
うまくいっていることが全くないということってあるのかな?
なにか少なくても1つはうまくいっていることって、どんなドン底の状況でもあるのではないだろうか?
正直、自分の人生経験的にどん底だ!ってとこまで行っていないから、もしかしたら、底まで行ったら、今、言っていることは甘い考えだったと思うのかもしれないけど、これだけ日々、目の前のことに頑張っている人間がどん底までいくかな?
行ったら、もう行ったったらいいんじゃない?
きっとそこで見える景色は、また自分に人生の歩き方に気づかせてくれるものだろうと思う。
そこで見た景色は、その後の人生を今よりも豊かにするには必要な景色なんだろうと思う。
だから、いまは、とりあえず、1日1日、目の前の今日に全力を尽くす。
うまくいかなくてもいい!全力を尽くしてたどり着いた道は、自分が行きたかった方向ではなくても、自分が思いも寄らなかった幸せを掴む道の近道なんだろう。
だから、
それでも、自分は幸せだ
大丈夫、人生って良くなる様にしかなっていないんだよ。